祈る神なし
- 2009年 5月 19日
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宗教らしい宗教(形式張ったものや、持続的なもの)が姿を潜めて久しい日本だが、
節目節目では、何かしらの宗教行事を行うことが常識となっているのも不思議なものだ。
葬儀には坊主が小遣いをせびりに来るし、家を建てるときにも神風的な祓いをする。
結婚の時には、和風な神か洋風な神か選択出来たり、混ぜこぜにしたり、
よく分からないまま、開祖の誕生を祝っていたりもする。
そういった、よく語られるところは他に任せておいたとして、
今回の焦点は、個人的な神頼みの場合の、その対象についてだ。
人間、本当にせっぱ詰まれば、最後には祈るしかなくなる。
受験や、出産、病気、就職、恋愛…など、
結構、あとは自分の力ではどうしようもないと思えることは多くて、祈るしかないとなる。
その時に、自分は無宗教ですと主張する輩は、何に対して祈ってるのだろうか。
そんなに大げさな話ではない。
わざわざ神社とか行ったり、自分の前で十字をきったり、手を合わせたりしなくても、
心の中で思う、その感情をどこへ向けているのか。
この心の至極純粋な感情の部分を現代日本国民は、無駄に浪費してしまっているのではないだろうか。
同じく日本の文化だが、「もったいない」なぁと、常々思うのである。
